Sea of Tranquility

しずかのうみ

翻訳問答2 創作のヒミツ

 

翻訳問答2 創作のヒミツ

翻訳問答2 創作のヒミツ

 

だいぶ前に買ってあったんですが、今日の今日読み始めて1時間ほどで読了。

対談形式なので読みやすいとはいえ、ハイペースだったな。とにかく面白くて。

 

中学生くらいの頃、わからなくなり始めた数学とは反比例して英語が楽しくなって、もしかして私って英語が好きなのかも(言語としてではなく、教科として)と一瞬だけ幸せな勘違いをしていた私は、その頃隆盛を極めた海外翻訳SFに傾倒しちょっとだけ翻訳とかやってみたいと思ったこともありました。だがしかし。

翻訳というしごとは、ちょっと学校の教科で英語が得意、程度の人間が生半可な覚悟でやることではありませんでした。はい。

それでも、この本で紹介されている「雪女」(小泉八雲っていうかラフカディオ・ハーン名義の英語版)を読んでいるとうずうずと日本語に、しかも英文和訳じゃなくて翻訳したくなってくるー!

最近では、英文をいちいち日本語に直さなくても頭に入ってくる「ことも」あったりするんですが(あと、英語で何か話そうと思う時にまず日本語で考えてから英語に直すのではなくていきなり英語で考え始める「ことも」ある)、例えばそのことを誰か日本語話者に伝えようとする時に、日本語に変換する必要があります。その時に自分は翻訳をしているな、と思うことがあります。意訳程度のものでもあるかもしれないんですが、伝えようとする相手のことを考えて言葉を選ぶことも、翻訳というしごとの一部なんじゃないのかなあとこの本を読み終えた今思っていたりします。

しかし小説家の皆さん英語が堪能で(スペイン語からの翻訳をされた方も!)驚きました。まあ、そういう方達を選んだんだとは思うんですが。

翻訳という作業は演奏に似ているかも、というのも読後に思いました。

原著者(作曲家)の意図するところを正確に読者(聴衆)に再現する、しかし翻訳者(演奏者)の持つ語彙(技法)以上のことは表現できない。そこに個性が生まれる。

日本人が英語の読み書き会話に劣るところがあるのも、書籍・字幕・吹き替えの翻訳者さんたちが凄腕すぎたからなのかな。本の中では何度も触れられていましたが、日本人は多少「翻訳調」で読みにくくなっても原文に忠実かどうかを気にする、ただし日本語として破綻しているのは論外。でも英語話者は内容が原著に忠実かどうかより自分たちにわかりやすくて抵抗なく読めるかどうかを重視する。なるほど。

その中で個性豊かな翻訳を世に出し続けている翻訳家の皆さんに心からの敬意を表しつつ、次作を楽しみに待つことにします。

個人的には鴻巣さんの「風と共に去りぬ」は読んでみたい。

楽しみにしていて刊行後すぐ購入したので第1刷なんですが、特に後半の誤植が気になりました。あーでも楽しかった。