Sea of Tranquility

しずかのうみ

物理学者の墓を訪ねる

私が学者さんのお墓参りに行く時には、同好の士が書き残してくれた過去の情報を頼りにしているので、同じ趣味の人は少なくないんだなあとは思っていましたが、本にする人がいたとは。

物理学者の墓を訪ねる ひらめきの秘密を求めて

物理学者の墓を訪ねる ひらめきの秘密を求めて

 

紹介されている皆さんは

アイザック・ニュートン、ルートヴィヒ・ボルツマン、マックス・プランク、ルイ・ドゥ・ブロイ、エルヴィン・シュレーディンガー、ヴェルナー・ハイゼンベルクリーゼ・マイトナー

長岡半太郎大河内正敏仁科芳雄朝永振一郎湯川秀樹、久保亮五

という顔ぶれです。

私はボルツマンとシュレーディンガーハイゼンベルクと朝永先生のお墓には行きました。(ドヤァ

自身も現役バリバリの物理学者である著者がお墓参りに行く理由は、タイトルにもあるように、故人の墓に参ることによって彼らが生前得たひらめきの秘密を知ることができるのではないかということらしいのですが…。現地では墓標や埋葬された土の上に両手をかざして故人のリアルな情感に触れ、小一時間もそこに佇むということです。はあ、そうですか…。

科学者意外とエモい、という小学生並みの印象を抱きつつ読みました。

著者は墓参の際には"入念に下調べを"するそうなのですが、読んでみると、広大な墓地のどこに埋葬されているかも調べずに行って現地で管理人に突撃するも「知らないよ」と振られその後自分で墓地を何時間も歩き回って探す、みたいなことをやっていて、入念な下調べとは果たしてなんなのか、という気分に襲われました。

インターネットもないような時代に行ったのならわかるのですが、今はちょっと検索したらたいていのことは事前に把握できます。私が大して苦もなく見つけたハイゼンベルクさんのお墓にたいそう苦労して辿り着くエピソードは涙なしには読めませんでした。

シュレーディンガーさんのお墓にはレンタカーで行っちゃうし。ずるいわよ。あそこは公共交通機関を乗り継いで行くのが通だわ!(個人の感想です)

"アルプバッハでは国際会議がよく開かれて…"みたいなことは書いてあるのに、そこに"科学者の小道"という、国際会議で訪れた著名な科学者さんたちが植樹してできた並木道があることには気づかなかったのね!

…とまあ、自分に照らし合わせて割と批判的(意地悪な意味で)に読んでしまいました。著者さんごめんなさい。

でもですね、各科学者さんたちのエピソードはとても詳しく書いてくださっていて、科学史的に勉強になる内容でしたよ。女性でなおかつユダヤ人だったばかりに、業績が認められないままこの世を去ったリーゼ・マイトナーのエピソードは感動しました。

次はいつになるのかわかりませんが、ドイツに行くことがあるならゲッティンゲンに行きたいですね。

後半は日本の誇る物理学者の皆さんです。

長岡先生には、昨年度物理学のレポート課題で苦しんでいた時にお世話になりました。青山墓地にいらっしゃるようなので、いずれお礼に伺いたいです。

大河内先生はよく存じ上げなかったのですが、理化学研究所の第3代所長さんだったそうです。この項は理研の歴史、みたいな感じになっていました。戦前の理研の航空写真が残っているそうで、著者はヘリをチャーターして同じ角度で撮影したものを並べて比較しています。

こんなことにお金をかけなくても、と思ってしまいましたが、この本自体が日本経済新聞社の日経テクノロジーオンラインで連載されていたものをまとめたものですので、その費用は日経が出したんだろうな、とかそんな大人の事情を斟酌するのでした。この比較写真は史料として価値があると思います。

朝永先生のお墓は仁科先生と同じく多磨霊園にあるのですが、それはおそらく分骨されたもので、本当は京都にいらっしゃるとのことなので、湯川先生のお墓と併せて一度お参りに行きたいと思っています。

久保先生は物性の専門家で、お墓は文京区小日向のお寺にあります。墓碑に非平衡統計力学の基本方程式が刻まれているそうで、そちらも拝見してみたい…。

私がなぜお墓に行くのか、書いてませんでしたね。私は物理学者ではないので、先達のひらめきの秘密を知る必要はありません。さっきは著者についてエモいとか揶揄してしまいましたが、私も、著者ほどの熱い思い入れやシンパシーはないにせよ、科学を究めた人が生きていた証に向き合うことに意義を感じるということなんだと思います。大学には故人の肖像画銅像、彫像が残されていたりしますが、それらとお墓はやっぱり違うよなあ、というのが私の気持ちです。

まあでも、変な趣味ですよね。