Sea of Tranquility

しずかのうみ

近代を生きる女たち

 この夏はなんとなくドイツ史を勉強していました。(特に目的があったわけではないのでなんとなく、なのですが、内容は充実していましたよ)

近代を生きる女たち―十九世紀ドイツ社会史を読む

近代を生きる女たち―十九世紀ドイツ社会史を読む

 

 その流れで何冊か本を読んでいます。

これは19世紀前半から20世紀初頭にかけての、ドイツ社会史を通じて女性の生活についてまとめられた文献なのですが、個人の書簡なども資料に用いたとても詳細な、しかも生活に密着したものになっています。つまり読んでいて楽しいです。

と言ってもさすが前時代的な内容なので、女性として読んでいると腹立たしい描写もいくつか出てきます。哲学者のフィヒテ

しかしそれでも女は何らかの衝動にしたがって性的関係を結ばざるをえないのだから、その衝動とは、男を満足させるというもの以外ではありえないことになる。女はこの行為においては他者の目的のための手段となる。なぜなら女は、自ら目的となろうとすれば自らの究極の目的、すなわち理性の尊厳を放棄せざるをえないからである。女は手段となるにもかかわらず、気高い本能、つまり愛の本能にしたがって、自らの意志で手段となることにより、自らの尊厳を保つことができるのである。

『知識学の原理に基づく自然法の基礎』

なんて言っていたそうです。女性が持つ愛の本能は気高いとしながらも男性の手段でしかないとか、なかなかふざけていますね。

今はどうかわかりませんが、ドイツは女性に対して高等教育の門戸を開くことも、近隣諸国からすると遅れていたそうです。

19世紀前半部分の章ではちょうど教育制度が前進するタイミングで成長した女性の自伝が引用されていて興味深いです。女の子たちは4歳くらいからまず編み物を習うのだそうですが、編み物さえしていれば片手間に読書をすることが認められていたので、勉強をしたい子たちはあまり好きではない編み物を逆に利用して、好きな本を読んでいたんですね。

初等教育自体は男女の区別なく受けることができたようですが、男子はギムナジウムに進学するための試験を受けるのに対し、女子にはその資格がないため試験もなく、特に高い目標も設定されていませんでした。

その後彼女は環境に恵まれて進学・進級するんですが、一部の科目を除いては男の子より優秀だったって自慢していたり、女子クラスができた後では、女子は男子に比べて行儀もいいし勤勉だし努力家ばかりだから男子と同等かそれ以上の成績を修める人もいたって書いていたり、可愛いです。でも結局その教育も、14歳以降は認められず、それ以上の進学はできませんでした。

教育以外にも、良家の奥様の優雅な一日とか、女中さんの過酷な労働とか、定職にも就けないもっと下層の人たちの生活なども細かく紹介されています。あとは、お嫁入り道具のリストがあったり、当時の物価がわかるような資料があったり。19世紀前半当時は一家の主婦が何でも手作りをするのがよいとされていて、市販のものを買うのは手抜きと思われていたけど、だんだん技術や流通が進歩してきてそういう風習もなくなってきた、など、日本でも起きた現象がやはりドイツにもあったことがわかります。

デリケートな話題である性と結婚の話題などにもデータを用いて客観的に分析がなされており、こうして一冊にまとめられているのは資料的価値が高いと思いました。

他の国や地域でもこうした研究はされていると思うので、機会があったら探して読んでみようかな。歴史は難しいと思い込んで敬遠していたけど、無理にでも触れていると興味が湧いてくるものですね!ちょっと嬉しいかも。