意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)
- 作者: デイヴィッド・イーグルマン,大田 直子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/04/06
- メディア: 単行本
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例によって美味しいものは後から食べるので、この本も2年くらい積んでありました…。
買った直後に少し読み始めてはいたんだけど、かなりのボリュームなので第1章でギブアップしかけていたわけです。しかしそこをなんとか乗り切ると相当面白くて止まらなくなります。
この本は、神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンさんによって、「自分自身の思考や行動は、思ったより、というよりかなりの割合で、自分自身でどう制御しているのか理解できないまま行われている」という視点から書かれています。身近な例をたくさん紹介し、科学的な検証をちゃんと引用して、読者に「ね?ね?自分の行動って意外と自分ではちゃんとわかってないでしょ?」という文体は、本の途中くらいからとても効果的にこちらに働きかけてきます。
脳は勝手に動いている。脳からの命令がどんなものかは知らないまま私たちは行動している。ちょっとした脳機能の変化や内分泌の障害によって、普通の人がとんでもない行動に出る。
そこで後半彼はこう問いかけます。
現行の司法は人間の生理学に則った適切なものなのか?
自分を制御できない状態に陥った人を法で裁き、懲役を科したり処刑したりすることが、本当に犯罪を抑制できているのか?
それが疾病や障害によるものなら…この場合は情状酌量の余地が大いにあります。でも育った環境によるものだったら?これも自分ではどうにもできない因子です。ただし、もともとの気質というか、体質というか、遺伝的要因によって、同じ劣悪な環境で育っても暴力的な性格が強化されないこともこれまでの研究からわかっています。
目を背けたくなるような凶悪犯罪からちょっとした軽犯罪まで、それを犯す人の脳や内分泌はそうしない人とは異なっているという前提に立つことができる。今は犯罪者自身の反省や更生、もしかしたら少しは報復などの目的で行なわれている法的措置が、脳生理学の見地から考え直すことによって、再犯防止という未来に繋げられる日が来るのではないか、という、読み始めた時にはあまり想定していなかった劇的な展開に目が釘付けになってしまいました。
詳しくは書けないんですが、私の仕事は失敗が絶対に許されない種類の仕事です。しかし人間なので失敗はあります。その時に、上司からは対策を考えさせられたり、反省文を書かせられたり、いろいろな指示を受けて収束させるわけなんですが、現場の私たちは、いえ、指示を出している上司ですら、そんなことでは失敗を減らすことなんてできないとわかっています。だからといって何もしないわけにもいかず、直接効果のない対策をいつも講じているわけです。
この本に描かれている考え方をもっと進歩させれば、うちの職場での失敗に対応できるうまいやり方が見つかるかもしれない。少なくとも一人一人が萎縮して結果的に仕事に悪影響が出ることは減るかもしれない。うまくすれば失敗そのものも減らすことができるかもしれない…。
そんなことを思いながら読了しました。
しかし人間の脳の機能は深遠すぎますから、「その時」はまだまだ来ないかもしれないですね。
著者がTEDで行った「人間の新しい感覚」についての講演です。
本での語り口同様ユーモラスな人ですね。