Sea of Tranquility

しずかのうみ

スポットライト 世紀のスクープ

タイトルだけ見ると、「ブロードウェイでミュージカル女優を目指して日々稽古に励むアマンダ(ブレンダでもいい)はある日プロデューサーの一人がトニー賞審査員と内通していることを知ってしまう。業界紙にタレ込もうとするも、挙動不審な彼女に目をつけたプロデューサーから執拗に狙われ始め…」みたいな内容かと思ってしまいますが、全然違います。

ハードな社会派ドラマ、しかも宗教がらみのタブーにも切り込んでいます。派手な演出や意外な展開などは全く盛り込まれておらず、淡々と、事実に基づいたストーリーが続いていく…というわけで、導入部分は淡々としすぎて、視聴環境がイマイチ(機内)だったことも手伝って、ちょっと苦痛でした。

一応あらすじ。あまり深く考えずに観始めましたが2001年のお話でした。なので劇中に9.11がでてきます(出てくるまで私は気づかず観てた)。舞台はアメリカ、マサチューセッツ州ボストン。日刊の地方紙「ボストン・グローブ」に新しい編集長が、フロリダからやってきます。新編集長は着任早々、同紙で独自取材による特集記事を書いている小さな部署「スポットライト」のメンバーに無理難題を提案します。それはボストンのカトリック教会の司祭が、児童を性的に虐待しているという案件の取材でした。その件は地元民でも知ってたり知らなかったりする微妙な事件で、過去にも問題になりかけたものの、保守的なボストンでカトリック教会に切り込むことがあまりにも困難なために頓挫したという経緯もある超無理難題。記者たちは「フロリダから来たからボストンでこの件を取材するのがどれだけ大変なのかわかんねーんだよあの新任編集長:;(∩´﹏`∩);:」と反発したりもするんですが、被害者を支援している団体の弁護士やら、その団体に登録している被害者などに取材を開始。かつてわかっていた事実以上のことはわからないのではないか…と思った頃に、どうもこれ以上のことがわからないのは、当の教会がこの事件だけでなく、派生した多数の同種事件について、司法に圧力をかけて隠蔽しているからなのでは…ということが判明し、スポットライトチームが俄然本気を出し、隠されていた証拠にたどり着き、見事スクープをものにする、というお話です。

とにかく劇中、特に前半ですが、何かっていうと「ここはマサチューセッツだから」「ここはボストンだから」というセリフが出てきました。それだけカトリック教会の力が強いんだよ、という示唆でしょう。日本は宗教がないからわかんないよね〜、と逃げたいところですが(宗教ないことないですけどね)、まあ確かに日本の仏門にここまでの権力は(今んとこ)ないですけど、歴史の中ではそれなりに力を持っていたこともあっただろうし、お寺の中でお稚児さんに性的にあんなことをしていたのも史実として残ってますので、聖職者ってどいつもこいつも、って感じではありますね。ソースがWikiなんでアレですけど、この記事が出された翌年、2002年には日本国内での同様な事件について、日本カトリック司教協議会が「子どもへの性的虐待に関する司教メッセージ」として声明を出しています。

話を映画に戻すと、記者たちはそれぞれ分担して取材をガシガシ進めていくわけですが、サーシャ・ファイファー(レイチェル・マクアダムス/演)は街中のダイナーや公園の中で遠慮なく(ってこともないですけど…)被害者から当時の様子を聞き出し、被害者が婉曲な表現でお茶を濁そうとすると「そうじゃなくて、もっと具体的に何をされたのかを言って欲しいの」とめっちゃ突っ込み、相手が泣き出すまで諦めなくてすごかった。記者はカウンセラーじゃないし、取材対象のメンタルにまで責任はないわけだけど、こういう犯罪被害者への取材って、特に方法論とかないんだろうか、アフターケアをするしかないんだろうか、取材によるセカンドレイプってどう考えられているんだろうか、と、心理学をちょこっとやった身としては、そんなことがすごく気になって観ていました。

心理学関連でいうと、ニューヨークタイムズの関連記事でこんなものがありまして。

Before the Oscars, Some Films Face the Truth Test

この中の一部、David F. Pierre Jrという人に取材した内容です。

the movie’s biggest flaw was its failure to portray psychologists who, as cases surfaced, assured church officials that abusive priests could be safely returned to their duties after treatment. 

要約するとこの事件について、心理学者は虐待した司祭についてちゃんと治療を受ければ元の役職に戻れるって言っちゃってたんだけど、映画ではそこちゃんと描いてないんじゃね?ということのようです。うーん。まあこれに対する反論もあるようですが。

被害者の心のケアという面での、心理学、精神医学的限界をひしひしと感じながら観ていた私ですが、取材チームは着々と真実に迫ります。当然、悪の枢機卿軍団から夜襲をかけられたり、司祭個人に取材を試みた記者が逆に襲われて閉じ込められたり…というようなサスペンスものにありがちな陳腐なシーンもなく、それでも真実が明らかになるにつれて否応なしに緊張感が増していきます…しかし夜道を歩くシーンなんかは本当に襲われたりしないのかなとかドキドキしちゃいました。

暴力による妨害はなかったにせよ、各方面から言葉責めを受けるなどの強いストレスとプレッシャーの中、いよいよ取材の結果が記事になり、朝刊が配られ始めたその時、新聞社は休業日でしたがチームは落ち着かなくて出勤しちゃっていました。そして静かな社内に鳴り響き始める外線電話の呼び出し音。記事を読み、今まで虐待された事実を誰にも言えずにいた被害者たちが声を上げ始めるラストシーン。最後までシンプルな映画でしたが、最後は普通に感動してしまいました。

そして私はマイケル・キートン大好きなんだわ〜バットマンの頃から〜、と再認識した映画でもありました(笑)声も渋いしなぁ。

そういえば撮影監督は日本人でした。高柳雅暢さん。実は私の子供?の頃の夢が、映画のエンドロールに名前を出すことだったんですよね。

今でもスタッフ名を最後の最後まで見るのが好きです。愛国心なんて特別には持っていませんが、日本人の名前を見つけるとやはり嬉しいですね。

CPA B777 機内エンタテイメントシステムで鑑賞 英語字幕をつけました。字幕ないとさっぱりわかんなかったと思うわ…。