今年読んだ一番好きな論文2017にエントリーしました。
今日の記事は私の好きな論文のご紹介となります。
ご紹介する論文は
ワーキングメモリの負荷が共感的反応に及ぼす影響 —二重過程理論に基づく検討—
石澤亜耶乃・島田英昭 (2014年6月 認知科学21巻2号)
です。
オープンアクセスですのでリンクから閲覧可能です。
私について
まずは私のバックグラウンドを簡単にご紹介します。
働きながらとある大学で通信教育を受けています。
大学の通信教育を受けるのは2校目です。1校目には心理学を勉強するつもりで入ったのですが、実際に履修できたのは数科目だけでした。
昨年(2016年)、別の大学に入り直して、今は哲学を学んでいます。
この論文について
認知心理学の論文です。
心理学業界では近年(1990年くらいから)、人間の認知過程を無意識的で直観的なシステムと意識的で熟考的なシステムに二分化する手法が注目されていまして、ノーベル経済学賞をとった心理学者のカーネマンさんなども、こうした二つのシステムが拮抗して人間の意思決定に影響を及ぼしている、という内容で行動経済学の本を書いています。
すごくざっくりいうと、「新しいガンプラ欲しい」と思う自分と「ちょっと待てもう家には置く場所がないしそもそも買う金があるのか」と思う自分、「今すぐチョコレートケーキ大盛りで食べたい」と思う自分と「ダイエットしてるんじゃなかったんかーい!」と押しとどめようとする自分の戦いですね。(ていうか今ガンプラの需要ってどの程度あるんでしょうね…)
直観的システムは、人間が生物として生き延びるための、いわば古いシステムなので、食べたいと思ったらすぐ食べたいし、欲しいと思ったらすぐ欲しい、欲求にわりと忠実で直結しています。
熟考的システムは、最適化された行動を目指そうとするので、自分の欲求だけでなく、周囲の状況とかお財布の中身とか、客観的な判断のための材料をなるべく多く集めて判断しようとします。認知リソースを食うので、動きが遅いのです。
この論文は、認知過程を、スタノヴィッチさんという
心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性
- 作者: キース・E・スタノヴィッチ,鈴木宏昭,椋田直子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2008/12/19
- メディア: 単行本
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心理学者が提唱した「システム1(無意識的な方)」と「システム2(意識的な方)」に分け、さらに他人に対して共感を抱く時の感情的な反応を「並行的反応」と「応答的反応」に分類した上で、人間の記憶に関する機構である「ワーキングメモリ」の負荷をかける実験によって「並行的反応をシステム1が、応答的反応をシステム2が担っているであろう」という仮説を検証しようとするものです。用語よくわかりませんね。後ほどご説明いたします。
心理学とは
読者の中には心理学よくわからない…という人や、心理学って人の心が読めるようになるやつでしょ?という誤解を持っている人もいるかもしれないので、まず心理学について概略をご説明しますね。
知覚や行動などを実験で再現して検証するのが基礎心理学です。(日本基礎心理学会ホームページ参照)
応用心理学は、臨床心理学や教育心理学、社会心理学などの、もう少し実生活に密着したトピックを扱っているようです。
心理学はその名称から、人間の「心」についての学問であると思われやすいのですが、「心」そのものを研究対象にすることはまだできていません。そのため、人間の心の動きが顕れやすいであろうと思われる「行動」とそれを決定する原因、条件、プロセスなどに焦点を当てて研究を行っています。
この論文を選んだ理由
心理学を断念して、今は哲学をやっている私が、なぜ今回この論文を選んだのでしょうか。
哲学も複数の領域に細分化されていまして、私が最近興味を持っているのは科学哲学という領域です。
科学哲学では文字通り「科学に関することを哲学する」わけですが、それでは身も蓋もないのでもう少し噛み砕きますね。
科学者の皆さんはなんらかの仮説をもとに日々データを取ってそれを分析・解析・考察していらっしゃるのではないかと推察されますが、哲学者はその外側から、推論や説明の方法や、何かの現象が実在するとかしないとかそういう「そもそも論」のようなものを考えています。また、科学の各分野について専門に考察する哲学もあり、実際に「物理学の哲学」「生物学の哲学」などと呼ばれています。
生物学の哲学では、進化論をベースに人間の種特異性を研究している人たちがいまして、その種特異性の中には言語とか道徳とか価値観とか、そんなものが含まれています。高度に社会化された集団で生活する生物は他にもいますが、経済活動や言語活動や学校教育や宗教活動を行うのは今のところ人間だけです。特に道徳的な行動指針をどう獲得してきたかということについて、この二重過程理論をツールとして研究している人たちがいます。
心理学での二重過程理論に対する取り組みが、認知過程に直結したものでありなんらかの実験を通じてデータを集めて検証しているのに対し、哲学での取り組みは進化の過程をベースに、人間が起こしがちな矛盾を孕んだ行動に対して、考察を行うことで方向性を見出そうとしているという、この違いが私には興味深いです。
勉強を始めたばかりですが、科学と科学哲学が同じトピックを扱いながらも、違う手法で科学の在り方を明らかにしようとしているように見えていて、そこを自分の中で消化することで今後の研究テーマが決まってくるのかなあなんてぼんやり考えています。
この論文のキモ
共感的反応の二つの区分と、人間の記憶の仕組みについて少し触れつつ、この論文が目指したところをご紹介します。
他人の状況や境遇に共感する時に感じる痛み(かわいそうとか、痛々しいとか)を感情的反応と位置づけたのは、社会心理学者のデイヴィスさんですが
先ほど触れたように、「並行的反応」と「応答的反応」に二分されています。
「並行的反応」とは、共感する側とされる側の感情がマッチングされていることで、暴力を振るわれている人を見てその人の痛みを感じるような反応です。これは見たまんま「痛そう」と思うことで、無意識に行われておりシステム1が担っているというのが仮説として立てられています。
「応答的反応」は共感する側が、共感される側の状況をただ見て判断するという段階を超えて、自己の解釈が入るものとされます。
最近観てきたんですが、「怖い絵展」に出展されていた「レディ・ジェーン・グレイの処刑」で、観たところなにも痛いものや悲惨なものは描かれていないにも関わらず、背景事実を知ることでレディ・ジェーンへの憐れみや処刑に至った経緯に対する怒りを感じるというのがこれに近いのかな。これは相手の状況を理解していなければ起こらない共感なので、熟考を要するシステム2が担っているというのがこの論文における仮説です。
実験デザインとして、ワーキングメモリに負荷をかけることでシステム1とシステム2のどちらを脳が使っているかを見極めようとしていますが、ワーキングメモリというのは人間の記憶の仕組みでいうと短期記憶に分類されるもので、一時的に記憶できるごく小さな断片のようなものです。このワーキングメモリは、繰り返し思い出そうとするなどの手続きを踏まないでいると失われる認知的な記憶です。
ワーキングメモリを反復した結果、知識として定着したものは、脳の中の長期記憶貯蔵庫にしまわれて、想起するものに触れた時に引き出しを開くような形でアクセスが可能になります。
ワーキングメモリが一時的に認知的な負荷を上げるので、認知過程のうち熟考を要するシステム2の働きを阻害することが、過去の実験からわかっています。
この論文においては、大学生が共感しやすい題材を取り扱った文章を実験協力者に読ませて、その中の単語を記憶するという負荷をかけることで、並行的反応と応答的反応のどちらに有意な差が生じるかを検証しています。
結果としては、ワーキングメモリに負荷をかけた結果、応答的反応の低下が見られ、著者の仮説は検証されました。
で、この論文の面白いところ
この論文は石澤さんの修士論文を、認知科学誌に掲載するにあたり修正したもののようなのですが、人様の修論を断片的にでも読んだのは初めてだったので素直に「おおっすごい」と思ってしまいました。これが一番の動機だったかな。
それから、石澤さんが「ここが知りたいのに先行研究に触れられてないじゃん…」と思ったところを補う形で実験デザインをして、ご自分の知りたいところをちゃんと押さえることができているところがすごい!
ちなみに先行研究は、日本パーソナリティ心理学会が発行しているパーソナリティ研究誌に掲載された
です。
今回の論文紹介を通じて、
- 人は、直観的で速いけど早とちりなこともあるシステム1と、じっくり考えるからよく理解できているけどとにかく遅くてなかなか動かないシステム2の二つの認知過程を持っていて、それによってよくよく考えたらやめとけばよかったーーみたいなことをうっかりやってしまったりするのね…
- 心理学って人の心をどうこうするんじゃなくて、行動を研究しているんだー
- 哲学にもいろいろあるんだなあ
というようなことを感じていただけたら嬉しいです。