Sea of Tranquility

しずかのうみ

ハンナ・アーレント

朗読者」を読んだからというわけでもなかったのですが、同じような時代が舞台となった映画、「ハンナ・アーレント」を観てきました。

いや、やっぱり「朗読者」の影響が大きかったと思います。 ナチスが行ってきた残虐な行為の傷跡は、本で読んだり映像で見たり、なんだったら現地に赴いてこの目で見てくることも可能かもしれませんが、本当のところで当時その時代に、その土地に生きていた人たちが受けた衝撃は想像することしかできないんだな、と改めて感じさせられました。 たとえば、原爆の被害も、外国人にはたぶん本当のところはわからないだろうな。 でもわからないから見なくてもいい、ということではなくて、起きた事実として粛々と受けとめなければいけないんでしょうね。 ハンナ・アーレントが裁判を傍聴して得た知見は、情報の伝達速度も絶対量もこの頃とは段違いで、一度に把握できる世界情勢も飛躍的に広がっている現代の私たちにとっては、共感や理解まではできなくても「そういう見方もあるよね」と受けとめる余裕が持てるものだと思います。ただ、この時代の人たちには生々しすぎてそうはできない。哲学者が思索の結果導き出した思想と、現実に起きた残酷な出来事を切り離して考えることは難しいでしょう。そこで彼女が勝手に「同胞を侮蔑した」「ナチスを擁護した」という立場に立たされることに対するもどかしさのようなものはとてもよく描けていたと思います。 「哲学者が如何に哲学するか」という基本をハイデッガーに語らせる手法もよかった。しかしハイデッガーはただ若い女子大生にでれでれするすけべなおっさんにしか見えなかったぞ…。こっちの方が問題なのでは(笑)

映画全体の感想は… とにかく登場人物がみんなたばこをスパスパ吸っている。画面がずーっと煙い。この時代のアメリカ。 ドイツ語話者がアメリカ人の前で微妙な話題をドイツ語でまくしたてる、両方わかる人にしかわからない面白さ。 アイヒマン裁判の実映像が挿入されるのですが、アイヒマン本人の表情や佇まいが最も印象に残りました。 結末はこうするしかなかったんだと思うのですが、これなら映像化する必要なかったんじゃないかと…。 ただ、時代背景や哲学者の思想に暗い私が観てもよく理解できるように脚色されていたので、興味を持つとっかかりとしては成功したのでしょう。ハンナ・アーレントの著作を読んでみたくなりました。