Sea of Tranquility

しずかのうみ

算法少女

算法少女 (ちくま学芸文庫)

算法少女 (ちくま学芸文庫)

 

前回のエントリでも書きましたが私は数学に苦手意識を持っています。もうむしろ一生克服できない弱点と言ってもいい。

それなのにこのところ数学関連の本を読むことが多くて、出てくる数式もわからないなりに懸命に目で追ったりしているわけです。どうしちゃったのか。

その勢いで買ったのがこの本でした。

西洋数学が本格的に入ってくる前の江戸時代に日本で研究されていた数学、「和算」。実のところはどうだったのかはわかりませんが、この本では「算法なんて金の計算にうるさい商人がやる胡散臭い学問」というイメージで捉えられていたと書かれています。反面、神社に数学の問題と解を書いた絵馬(算額)を奉納し、勉強の成果を報告しお礼の気持ちを表すという風習も行われていました。

私はこの算額というものを、昨年開催された

企画展「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」

という展覧会で初めて目にして、数学は本当に全くわからないのに、その気持ちに打たれたというか(陳腐ですけども)、なんだか離れがたくてずっと見ていた、という経験がありました。

この本は、江戸時代に実際に出版された「算法少女」という和算書の成り立ちについて作家の遠藤寛子さんがお調べになり、背景を創作された子供向けのフィクションです。

卑しい学問と言われていた和算に惹かれて勉強に励む少女おあきちゃんが、単位展で私の目を釘付けにした算額をきっかけに、ますます数学の道に邁進するという内容です。

「古き良き日本なんて嘘っぽい」と言われる昨今ですが、昭和初期に生まれた作者が著す江戸時代の人々の会話は、下町にあっても丁寧で読んでいていい気持ちがいたしました(ちょっと影響されてる)。

おあきちゃんは医者の娘ですが、全然商売っ気がなく、算法のことで頭がいっぱいで計算が得意なくせに苦しい家計のことは全く理解しない変人のお父さんと、「女の子なんだから学問なんて」「ましてや算法なんて」と今も昔も変わらないステレオタイプなお母さんに囲まれ、時に反発し、それでもやはり親を敬愛する、でもやっぱり一番好きなのは数学なの〜、みたいな、今の時代の私が読んでもものすごく共感できるキャラクターに描かれていました。数学のためなら知らない人にもどんどん会いに行っちゃう、すごく行動的。そして、地位や名声の追求よりも、本当に数学を勉強したい子供たちに教えることに楽しみと情熱を見出していきます。

久留米藩のお殿様(やっぱり算法好き)から円周率の求め方について出題されて、父親が持っていた蔵書から引こうとした時に、

おとうさん、どうしてこれをみちびきだしたのか、理由の説明がありませんが

という疑問を抱くおあきちゃん。当のお父さんは根拠とした自分の蔵書に絶対的に自信を持っていて、「こういうものは秘中の秘だからいいのいいの」とはぐらかしますが、のちにこれが他の本に書かれた解をコピペしたものではないかという疑いをかけられてしまいます。ここに気がつくおあきちゃんはすごい。研究者気質だなあ、なんて思いました。

このほかに私が気に入ったくだりを最後に引用します。コピペ疑惑をかけられて困り果てたおあきちゃんが、とある人に紹介されて相談に乗ってもらおうと会いに行った算法家のひとことです。

いったい、算法の世界ほど、きびしく正しいものはありますまい。どのように高貴な身分の人の研究でも、正しくない答えは正しくない。じつにさわやかな学問です。

相変わらず数学はわかりませんが、まだしばらく数学の本を時々読みたくなりそうです。