Sea of Tranquility

しずかのうみ

朝霧

 手持ちの本はここまで。(この次も図書館には予約済みだけど)

朝霧 (創元推理文庫)

朝霧 (創元推理文庫)

 

 短編集に戻ってきました。

山眠る

卒論を無事に書き上げた主人公ちゃん。私の卒論はいつ終わるのか…。これは俳句のお話。俳句。俳句ね!「六月の花嫁」にも俳句の話題が出てきていて、それに一言言及したかったんですけどすっかり忘れておりまして。私が俳句について語れることといえば、「六月の花嫁」でも話題になった「季語違い」ですかね。私が真っ先に思い出したのは横溝の『獄門島』の殺人トリックなんですけどね。根が剣呑なものですから申し訳ありません。詩歌は解釈が入るので正解があるようなないような難しい分野ですけれど、たくさん読んでいると何かがわかってくるような気がしてきましたし、正解は自分の中にあればいいのかもしれないとも思う今日この頃です。正解といえば、主人公ちゃんは今回職場の先輩から投げかけられた謎を円紫さんに教えてもらうというチートっぷりでした。あ、いつもか。このお話で印象に残ったのは田崎先生の

—いいかい、君、好きになるなら、一流の人物を好きになりなさい。—それから、これは、いかにも爺さんらしい台詞かもしれんが、本当にいいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ。

というお言葉でした。

 

走り来るもの

主人公ちゃんは大人になったので就職先の出版社で指導を受けている先輩天城さんと交わす会話も色っぽい感じです。でも相変わらず自分に降りかかった謎の解読は円紫さんにおまかせ。まあそうでないと話が成立しないわけではありますが。

結末のない、というか結末は読者の解釈におまかせ、なリドル・ストーリーがテーマです。ストックトンは結局解答編である『三日月刀の促進士』を書いたと言われていますが、このあたりはwebで検索しただけではよくわかりません。英語版ウィキにも言及されていませんし、北村さんもそのことには触れていません。

リドル・ストーリーで検索をかけるととあるウェブサイトに行き当たります。『三日月刀の促進士』のあらすじも読めますが…

kakugen.aikotoba.jpストックトンの2編と、その他代表的リドル・ストーリーとして紹介されている中に『箱の中にあったのは?』というものがありまして、作者名がリチャード・マスティンと書かれている。いやちょっと待って、これはリチャード・マシスンでしょ!こういうの書くのは!このサイトは日本語版ウィキでも外部リンクとして掲載されているんですが、なんだか適当なんだなあと思って他も調べていたら

trivial.hatenadiary.jpここを見つけて「やっぱりそうだよね!」と膝を打ちました。くだんのサイトではマシスンの作品を勝手に改変していたらしく、そこも私には噴飯ものでしたが、こちらのブログでは

『夢探偵』自体が他人の書いた物語の受け売りであり、オリジナルの要素はほとんどない。しかし、テーマを設定し、そのテーマに沿って物語を選択し、要約し、配列したのは、石川喬司の仕事だ。その業績を軽んじてはならない。

というように言われていて、本当に心からそう思います。

朝霧

先輩の結婚式で、かつてベルリオーズのレクイエムを隣で聴いた気になる彼と再会、という甘酸っぱいお話からの忠臣蔵

さすがに今回は円紫さんから「自分で調べて」と言われ泉岳寺へ赴く主人公ちゃんでした。

ベルクソンのことがちらっと出てきます。

この哲学者の名前は、戦前の本を読むとよく出て来る。何だか分からないけれど...

 えっそうなの〜?ベルクソンは令和になっても私たち哲学専攻者が逃れることのできないビッグネームなんだけど、やっぱり文学研究者には遠い存在なのかなあ?主人公のおじいちゃまは

島原氏のベルグソンの哲学、認識論は今日で終った。ベルグソンの説は、日頃、僕の考へてゐたこと故に「而り」と同感した。

 と日記に書いていて、ほえ〜、ベルクソンの認識論がわかるなんてすごいわ、それにしてもさすがおじいちゃま、孫娘と句読点の打ち方がよく似ている…とか思ってしまいました。あと、おじいちゃまはもしかしたら塾員さんなのかも。泉岳寺に馴染みがあって近くの大学に通っていたみたいなので。

ベルクソンの認識論の一部ですが、

意識状態を「既知の共通な用語」で表現することはできない。共通概念を使って名指すことは、人格により、また瞬間ごとに異なる「色合い」を備えた多様なものを同じ名前で括ることに他ならないからである。*1

 ということのようですよ。うーん。難しい論文も少し読めるようになってきたかな…関係ないけどやっぱりベルクソン研究者はフランス語でアブストを書くんですねえ。

 

最後は脱線しましたが、一応ミステリなのであらすじは書かず自分の感じたことだけ書くというスタイルをできる限り貫きました。時々あらすじが書きたくなって困りましたが…。

このシリーズ(あと一冊残ってはいますが)を読むことで日本文学のよさを見直すことができたのはよかったですね。国文の友達ともっと仲良くしようと思いました。あとはせっかく大学で身につけた仏文の素養をさらに育てていければ、ベルクソンも怖くないかも…(やっぱり怖いかも…)

*1:『直観と言語 —ベルクソンの認識論と方法』吉野斉志 (京都大学宗教学紀要 2017-14 )https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/228356/1/2017journal_078.pdf