Sea of Tranquility

しずかのうみ

大いなる聴衆

創元推理だしミステリにカテゴライズしていいんだろうけど、結局何が謎だったのか、読み終わるとますますわからなくなる。それは作者が巧いからではなくて、風呂敷を広げすぎたからだと思う。 

出版されてだいぶ経つので(初版はかれこれ20年前!)ネタバレありでいいかな、と判断していつもは書かないあらすじを書いてみる。

偉大な師におんぶに抱っこで自立できないバツイチお子ちゃまピアニスト(男)

そのお子ちゃまのことが大好きなのに素直になれないピアノ科崩れのプロモーター(女)

プロモーターの大学時代のルームメイト(美校出身の画家)でありお子ちゃまの元嫁(女)

お子ちゃまの元嫁の元彼でお子ちゃまの甘ったれた演奏をこきおろす評論家(男)

英国王立音楽アカデミー留学経験のある、お子ちゃまに輪をかけた俺様で傲慢な元ピアニストの師(男)

師の孫娘でソプラノ歌手の卵(藝大生)でお子ちゃまの婚約者(女)

お子ちゃまの大ファン、歌を歌う日英ハーフ(女)

日英ハーフの父で師と同じ大学出身、現在は母校で音楽理論を教える教授(男)

師に傾倒しつつも音楽理論の教授と結婚し日英ハーフを産む元ピアノ科学生の日本人(女)

お子ちゃまが拠点とするロンドンでお子ちゃまのマネージャーを勤めるやり手のゲイ(男)

日英ハーフと結婚を前提につきあっていた、お子ちゃま専属の調律師(男)

登場人物はこんな感じかな。

ソプラノ歌手の卵が祖父である師とロンドン滞在中に行方不明になり、後に脅迫状が送られてきて誘拐事件であることがわかる。脅迫状には「ベートーヴェンピアノソナタ第29番"ハンマークラヴィーア"を完璧に演奏しろ。そうしないと卵は帰ってこない」的なことが書かれている。でもお子ちゃまはその脅迫状によるプレッシャーとは別の事情により、全く完璧な演奏ができない。演奏のチャンスはわずか4回。1回目、2回目はぐだぐだながらもなんとか弾き切ったが3回目は第3楽章で中断してしまう。チャンスは残り1回。卵の運命やいかに…

というお話なんですけど、そもそも卵が誘拐された時の状況があまりにも偶然に左右されすぎていてミステリとしてどうなの、と思ってしまいました。もっともそれも終盤近くになってわかるわけなんですが…。

あの誘拐が計画的にうまくいくにはそれなりの計画性と人員が必要だったと思うんだけど、そうじゃなくて動機がただの私怨なので実働部隊は2人だし、誘拐してその2人が享受できるメリットがよくわからなかったし(復讐っていうことなんだろうし確かにお子ちゃまのメンタルは揺さぶったけど結果オーライになってたし)、結局お子ちゃまとその師に振り回される人間模様しか描いてなかったんですよね。いやまあそれを描きたかったんだよっていうことなのかもしれませんけど。

登場人物はそれぞれにやんごとない事情を抱えて生きているわけなんだけど、ほとんど伏線を張らずに進行して最終章で一挙放出みたいな流れなので読んでいる方は「お、おう…そうだったんか…大変やったな…」と思いこそすれ、誰一人として共感できずに終わった感じです。

どうしてそうなったかというと、舞台が日本(の北海道の札幌市)とイギリス(のロンドン)の2ヶ所に分散されていて、それぞれの土地に一人ずつ名探偵役の人物が配されているんですけど、そいつらも別に探偵ごっこをやる必然性もなく、能力があるでもなく、「自分たちがこんなことしてもしかたないけどぉ」みたいな言い訳をしながら思いつきで動くので伏線の張りようがなかったんだと思います。その探偵役が知り得た事実だけを提示されるので、読者はなんかこう上滑りした展開を見せられている印象…。

それに、ラストチャンスの4回目にお子ちゃまが華麗に復活するわけなんですけど、何がきっかけになったのかもよくわからないし、ただのわがままなおっさんだったのではとか思っちゃう時点であんまり成功してなかった気がする。

いっそミカリちゃん目線で、10以上も年上でバツイチのピアニストのことが好きになっちゃう声楽科2年生キュン♡おじいちゃまの伝手で婚約まで漕ぎつけたけど彼の周りには前妻さんがいつまでもうろうろしているし、なんか愛想の悪い調律師からいつも睨まれてる気がするし、そんなこと言ってたら変な部屋に閉じ込められちゃった!私どうなっちゃうのー!?でも一人になっていろいろ思い返すとなんだか不自然な状況がたくさん出てくる…ってやるとか、そもそも失踪が誘拐ではなくて、でも状況的にタイムリミットがあって解く鍵は「ハンマークラヴィーア」にある!とかの方が面白かったかもですね。(適当)

作者は10年ほど前に他界しています。藝大のピアノ科に在籍経験ありで、その後北大農学部に再入学し、IBMとアップルで就業経験がある才女だったようです。作中で、架空の研究者による架空の論文(題材はベートーヴェン)が引用されるんですが、割とありきたりなことしか書かれていなくて惜しかったなあ(やけに上から目線ですが…)。

でもピアノフォルテもメーカーによって音域が違ってたとかそんな話は興味深いですね。それにしてもその話も人工内耳の話もミステリの本筋にはあんまり関係なかったし、うーん。「性格の悪い芸術家が周りを傷つけまくってしっぺ返しを喰らう話」でしかなかったのが残念。

ってさんざん貶しましたが、そこそこの分厚さ(654ページ)なのに半日で読み切ってしまったのでまあまあ先が気になる部類ではあったのかな、と弁護もしておきます。